「これは、私の書いた『東電OL殺人事件』を超える事件だ」と帯に書く佐野眞一、怒りに燃えた渾身の一冊である。その怒りが読む側にもひしひしと伝わってくる、死刑判決も記憶に新しい「首都圏連続不審死事件」、毒婦・木嶋佳苗についての本である。ワイドショー的事件はけっして嫌いではない。しかし、この事件だけは、何故か見聞きするのが忌まわしいような気がして避けていた。しかし、佐野眞一が書いたというので、この本を買った。読み終えて、本能的に避けたいと思った理由がわかったような気がしている。
佐野眞一のファンである。正力松太郎を描いた『巨怪伝』以来、ほとんど読んでいる。なかでも気に入っているのは、ダイエーの創業者・中内 功を描いた『カリスマ』。中内は、復員後の昭和32年、大阪市旭区千林に主婦の店・ダイエーを開業した。佐野に場末といわしめるその街に、同じ年、私も生まれた。日本でいちばん物価が安いといわれていた千林商店街の描写には驚いた。四半世紀以上たった後に取材しているにもかかわらず、描かれている千林商店街の雰囲気は、ほんとうに見てきたように私の記憶とまったく同じであった。手練れの書き手というのはそういうものかと感心した。
ダイエーの中内に限らず、佐野によって描き出される、丹念な取材に裏付けられた人物像は、いずれもがきわめて立体的である。しかし、その立体感の陰影は、独特の角度からの光によって刻まれている。『乱心の廣野』での甘粕正彦しかり、『 あんぽん』での孫正義しかり。その独特の影から、読む前に抱いていたイメージ、あるいは、巷間抱かれているイメージとはすこし違った印象をうけるこのは私だけではないだろう。それは、おそらく、取材した相手を見つめる遠近法のつかいかたのうまさからきているのだ。
第一部『別海から来た女』は、木嶋のルーツをさぐるために、その出身地である別海という北海道の田舎町を訪れたルポである。そこには “思いがけない人物と、予想外のサイドストーリーが出てくるところが、ノンフィクションの醍醐味である。” とか、“何事もフラットに見せてしまうデジタル世界の犯罪に高低のメリハリをつけるエッジを突き立て、その標高差の「等高線」で木嶋佳苗事件を立体化する” などと書かれている。これは陰影の付け方や遠近法の重要性と同じような意味だろう。しかし、なぜ、佐野のような名手が、こんな言い訳がましいことをわざわざ述べているのか、訝りながら読み進めた。
木嶋にはたぶん大きな欠損がある。もっと言うなら、木嶋は本人も気づかないところで、人間が壊れている。
裁判を傍聴し続け、被害者やその家族への取材を重ねても、木嶋に対して抱いたわけのわからなさは、最後まで埋めることができなかった。しかし、なんとかバランスを―作品としてのバランスだけでなく、おそらくは、佐野眞一の人間としての本能的なバランスを―とるために、わざわざ第一部では、そのような「言い訳」をして、二部の『百日裁判』に備えなくてはいられないほど、この事件の主人公が恐ろしかったのではないか。
これも、らしくないと感じたことなのであるが、この本を書く佐野は相当に感情的である。木嶋のことはどうしても理解できなかったという佐野は、その不可知を転化するかのように怒りまくっている。その矛先は木嶋だけではない。「連続不審死事件」にしてしまった初動捜査の悪さに、そして、その担当警察官の無能さにも向けられる。それはまだいい。佐野の思いと同じに「満額回答」の死刑判決を下した裁判所であるが、その理由付けがなっていないと裁判官に怒る。裁判員の「達成感がありました」という感想にも怒る。そして、あげくのはてには、生き残った被害者にまで怒っている。
読みながら、煽られて、アドレナリンの血中濃度があがってくるのがわかるほどであった。しかし、興奮とは違う、怒りでもない。なにかまったく理解できないことに対する違和感の塊が体の中で大きくなり、それをもてあますような感覚とでもいえばいいのだろうか。あるいは、「人間」であるということに対してみんなが持っているだろうという無意識のコンセンサスが崩壊していく恐怖とでもいえばいいのだろうか。犯罪や個人といった実存するものではなく、得体の知れないなにものかにに対して、本能的な畏れを抱くのは当然だろう。
この本、一気呵成に読み終えて、よし、レビューを書こうと思った。しかし、少し時間がたって、やっぱり辞めようかと思った。それは、なんともいえぬ、虚脱感に襲われたためである。
この女の中にひそむ怪物は、たぶん木嶋佳苗本人にも手が届かないところにいる。長い裁判が終わって無人となった法廷で、その怪物が「なぜこんな無駄な茶番劇をやったんだ」と呟きながらひとりニヤニヤ笑っている。私は深い徒労感の中で、そんな妄想にかられつづけた。
佐野に比べるとはるかに小さいであろうけれど、この本は、まったく似たような徒労感を感じさせてくれた。その一点だけをもってしても、この作品は成功していると思う。ニュースの断片を聞くだけで、なぜか私は無意識のうちに恐怖を感じてしまっていたのだ。木嶋佳苗の中にひそむ怪物というのはそれほどまでに恐ろしいものなのだ。百日裁判で「お祓い」が終わったとはとても思えない「悪魔」。封印されて二度とこの世にあらわれてこないことを望むばかりである。
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佐野眞一は、最初から冤罪を強く主張していた。
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東電OL殺人事件つながりで。ただしフィクション。
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わが故郷・千林が「場末」と評されている以外は完璧な一冊。
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この本が絶版ですか。電子書籍の時代を迎えた今、ぜひ改版してほしい。