内村鑑三の著作に「デンマルク国の話」という短いエッセイがある。ドイツ・オーストリアとの戦いに敗れ、肥沃な土地の割譲を強いられた小国デンマークは、植林によって荒野を沃野に変え、自国を平和的な国家として再建することに成功する。善き宗教、善き道徳、善き精神により、国が戦争に負けてもいかに衰えなかったか、という趣旨で語り継がれている感動的な話である。
デンマークの国土は日本の九州並み(約4.3万平方km)であるが、イスラエルはさらに狭く、南北に細長く伸びる国土は日本の四国並みの広さ(約2万平方km)ほどでしかない。しかもそのほとんどは砂漠であり、パレスチナをはじめとする周辺アラブ諸国との紛争も絶えない。
そんな地政学的に不安定な情勢にあるにも関わらず、グーグル、シスコ、マイクロソフト、インテル、イーベイといった、名だたる企業が彼の地に進出し、研究所・戦略拠点を設けている。発明とテクノロジーを駆使し世界に存在感を示し続けているイスラエル。そのイノベーションと起業家精神の秘密に迫るのが本書だ。
街角に四人の男が立っている。
アメリカ人、ロシア人、中国人、そしてイスラエル人。
ひとりの記者がやってきて、この四人に意見を聞いた、
「すみません……肉の不足についてご意見を。」
アメリカ人が答える、「不足って何ですか。」
ロシア人、「肉って何ですか。」
中国人、「意見ってなんですか。」
イスラエル人の答えは「すみませんって何ですか。」
――マイク・リー Two Thousand Years
イスラエル人の気質を表す語彙の一つとして、ヘブライ語にフツパーという言葉がある。ユダヤ人学者レオ・ロステンは、フツパーについて「ずうずうしさ、恥とは無縁の厚かましさ、厚顔無恥、信じられないほどの”度胸”、無遠慮しかも傲慢という意味、しかし他のことばや言語ではこの意味を正確に表現できない」と述べる。
本書にも「フツパー」を振りまくイスラエル人が数多く登場する。ベタープレイスCEO・シャイ・アガシによる会社設立秘話、インテル・イスラエルチームによるマイクロ・プロセッサ戦争、ベンチャーキャピタリストによる目利き合戦など、起業の舞台裏で繰り広げられる丁々発止の渡り合いは、読み手を飽きさせない。
イスラエルを「起業国家」たらしめているのは、こうしたお国柄によるところもあるのだろう。格式とは無縁の国でもあり、現首相のネタニヤフには”ビビ”、前首相のシャロンには”アリク”というように、首相や軍幹部ら権力者にあだ名を付けるというのもイスラエルらしい。失敗に対しても文化的寛容を持ち合わせ、これを”次につながる失敗”や”知的な失敗”と呼べる空気も起業家たちの挑戦を後押しする。
「イスラエル人5人を管理するほうがアメリカ人50人を管理するよりはるかに複雑な仕事です。なぜなら、イスラエル人は絶えずマネジャーに疑問をぶつけてくるからです。まずこんな質問が飛んできます、”なぜあなたが私のマネジャーなのですか。なぜ私があなたのマネジャーではないのですか”とね」
一癖も二癖もあるフツパーが育つ土壌は兵役の軍隊経験にもある。「軍隊式」の組織文化といえば厳格な階級制度や上官への絶対服従を連想するが、イスラエルの軍隊組織はさにあらず。臨機応変な対応を可能にするため、ここではとにかく下の階級への権限委譲が進んでいる。
上級士官と戦闘に従事する軍人の割合は、アメリカ陸軍では「1対5」であるのに対し、イスラエル国防軍(IDF)では「1対9」。イスラエル空軍(IAF)も同様、フランス空軍・イギリス空軍よりも大部隊であるにもかかわらず上級士官の数はむしろ少なく、しかも司令官としては他の欧米の軍隊よりも階級の低い少将によって指揮されているという。
そうした最上層が軽くなっている恩恵は、若き指揮官の成長というかたちでもたらされている。若干30歳にしてIDFで少佐を務めるギルアド・ファルヒ曰く、
「ここで最も興味深い人たちは、中隊の部隊長です。文句なしにすごい人たちですよ。とにかく若い。中隊の部隊長はみな23歳です。彼らはひとりひとりが、100人の兵士と20人の士官や軍曹、そして3台の車両を与えられています。そこについてくる装備は、120丁のライフル銃、マシンガン、爆弾、手榴弾、地雷などなど。何でもあります。とてつもない責任ですよ」
繰り返されるテロリストとの攻防。潜入を繰り返すテロリストに対峙するため、現場でのその場その場の臨機応変な対応が求められる。そのためには、若手に権限を移譲し、重圧の中各地域を守り抜いてもらわねばならない。権限委譲は、いわば必要性と計画性の産物なのだ。
18歳になると、イスラエル人は最低で2年間または3年間、軍隊に入る。こうした軍の文化は、義務的な兵役についている2、3年の間に自然とイスラエル市民にも浸透していく。
強い組織にとっては、何といってもメンバーの多様性は欠かせない。そして、奇跡とも評されるイスラエルの経済成長の要因は「移民」にも求められる。イスラエルは今、70以上の国籍や文化の母国になっている。
イスラエルで最も有名な旧ソ連からのユダヤ移民と言われるシャランスキー・元イスラエル副首相はこう語る。
「ユダヤ人が(ソ連の人口の約2%を占めているにすぎないにもかかわらず)、なんと医者の30パーセント、エンジニアの20パーセントを占めていたんです。」
「当時のわれわれにとって”ユダヤ人”には肯定的な意味が一切なく、反ユダヤ主義の犠牲者にすぎませんでした。だから、ユダヤ人である以上、自分の職業の世界で抜群の存在にならなければ。」
今、イスラエルにあるテクノロジーのスタートアップ企業か、大きな研究開発センターに足を踏み入れると、そこでは従業員の話すロシア語が耳に入ってくるかもしれない。彼ら移民の情熱は、イスラエルのテクノロジー・セクターのすみずみにまで息づいている。
1990年にソ連の移民の「水門」が解放され、大量のユダヤ移民がイスラエルに流入。時を同じくし、世界中のテクノロジーブームが1990年代の半ばに加速する中、イスラエルの民間のテクノロジー・セクターでエンジニア不足が顕著になった。
ハングリー精神・競争意識・抜群の存在を目指す姿勢を持つソ連系ユダヤ移民。新しい言語、異文化への適応、慣れない生活習慣、貧しい境遇。野心にも才気にも富む者がそうした極限の状況に追い込まれたとき、失うものには目もくれず得られるものへと目を向けるのは必然と言えよう。彼らのテクノロジーに賭ける思いは尋常ならざるものであったことは想像に難くない。
若いリーダーシップの育成、ハングリー精神、多様な文化・価値観で揉まれた経験など、イスラエルには起業家を育む「豊かな土壌」がある。ところで、今や国民的イベントとなった感のあるサッカーW杯予選を先週テレビで目にし、若き日本代表にイスラエル的なたくましさを感じた、と言うと訝しがられるだろか。
最近の日本代表は、素人目にも強くなったように映る。世代が変わるごとに、着実にレベルアップが図れているように思えるが、彼らの成長の軌跡を想像するにこんな感じではないだろうか。
全国区のプレイヤー同士、中学・高校時代から対戦、あるいはユース、オリンピック代表など若い世代の代表として日本を背負って同じチームでプレイをし、顔見知りとなる。厳しい「訓練」の日々、いつの日かフル代表や一流のクラブチームで活躍してやろうという「向上心」、代表での国際試合や海外クラブチームでプレーすることによる「国際経験」を通じて多様なプレースタイルを吸収していくうちに、気づけば名の知れたスター選手の一員に。
日本代表の錦の元に馳せ参じ、自らのスキル・経験を遺憾なく発揮する姿は、本書に登場する起業家や産業クラスターの成功とダブって見えてくる。
国家や企業の命運は、詰まるところ超一流のトップ人材やブレーンをどれだけ抱えているかによって左右され得る。尖った人材はよほど思い切った施策を打たない限り、そうざらには輩出されないとすれば、「イスラエル式 / サッカー日本代表式」リーダーシップ育成を、スポーツのみならず、科学、芸術、ビジネス等、他の分野に応用・展開していっても面白い。
たった一度きりの人生。勇気を奮い立たせ、チャレンジし続ける一生も悪くない。
それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に残すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば”勇ましい高尚なる生涯”であると思います。
内村鑑三 「後世への最大遺物」より