日々、喜怒哀楽の中で、笑ったり泣いたりしながら生きているが、泣き笑いすることはめったにない。そのためだろうか、私だけかもしれないが、落語や演劇を見て、泣き笑い状態に陥るのがものすごく好きである。しかし、なかなかそのような芸を見せてくれる芸人さんはいない。東の立川志の輔、西の藤山直美、というのが私的にはイチオシなのであるが、本を読んで泣き笑いということは、相当に希だ。ひょっとしたら、この本がはじめての経験かもしれない。
岡八郎(後に八朗と改名)という往年の人気コメディアンをご存じだろうか?ある年齢以上の関西人であれば、あぁあの奥目の八ちゃん、と、皆がなつかしく思い出すはずだ。[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=QPXXJpsVDFA[/youtube]この本、その岡八朗を師と仰ぐ、オール巨人こと南出繁の半生記である。「なんだ、そんな知らない芸人さんたちの話なんて読みたくなかったりしちゃってさ」とかいう、わけのわかっとらん「と~きょ~もん」もようさんおるような気ぃがするが、ちょっと待ったれや、わぁれぇ~。あ、失礼しました。
単なる半生記ではない。古き良き時代の美しい「大阪芸人道」を介して語られる、「師弟」のあるべき姿についての本なのである。オール阪神・巨人というのは、エンタツ・アチャコ、いとし・こいし、を継ぐ、浪花の正統派しゃべくり漫才コンビだ。かつての漫才ブームでは、頻繁に全国ネットにも出ていたので、覚えておられる方もおられるだろう。名前が示すように、背の高い、いかつい方がオール巨人である。
南出青年は、22歳の時、岡八朗に弟子入りする。特に岡のことが好きであったという訳ではなく、単に紹介されてあっさりと弟子になっただけである。しかし、「自分が師匠としてついた人には、とにかく尽くそう」と決めていたオール巨人は、最初から岡のことを「いい人そうだな」と思い、信じられない律儀さと心配りで、失敗を重ねながらも奮闘努力する。一方、岡も巨人のことを気に入ったのか、厳しい人であったが、巨人にはとても優しかったという。しかし、「預かり弟子」のような形での師弟関係は、たったの1年間にすぎない。
その短くも濃密な師弟関係から、巨人は「師匠のためなら死ねる」とまで思うようになる。尊敬とか愛情とかいう言葉を束にしてもかなわない。「師弟」、それ以外の言葉はない。弟子入りをお願いした楽屋で、隣にいた「誰がカバやねん」というギャグでならした原哲夫に「絶対にケツわったらあかんで」と言われたのが変に印象に残っているという巨人は、出会ってから岡がなくなるまで31年間、ずっと正しい弟子でいつづけた。
「とにかく売れなあかん」という以外に何かを教えられたわけではなく、「学んだのは、師匠の芸とは別のものでした」と語る巨人が、弟子に勉強させるのは「人間としての常識や、どこでもうまくやっていける『常識力』みたいなもの」だという。かのアインシュタインは「教育というものは、学校で学んだすべてのことを忘れた後に残ったものである」と説いた。言わんとすることは同じだろう。「オール巨人の弟子を辞めたら売れるというジンクスまで生まれたことがある」らしいけれど、この伝でいくと、それこそ師匠冥利に尽きるというものだ。
「師匠から受け継いだものを、僕はまた誰かに渡していく責任がある」と考える巨人、「僕は厳しい師匠だとよく言われますが、自分ではそうでもないと思っています」というが、厳しいにきまっている。「今でも弟子たちにはみんな会いたいと思いますね」という心持ちを持つ巨人は、弟子としてだけではなく、師匠としても超一流だ。
岡八朗は、後年、アルコール依存症になり、吉本新喜劇の座長を追われ、病気や事故も重なり、舞台に立つこともなくなっていく。「なんや、お前は師匠に文句いうんかい」と叱られても、師匠の生活を案じる巨人は、何十回となく説教を繰り返す。岡が芸能生活45周年に舞台に立ちたいという意欲を見せた時には、「師匠のやる気には喜びつつも、八朗師匠の舞台を見てまた情けないと思ってしまうようなことはもう絶対に嫌だった」からと反対する。しかし、岡の決意は固く、開催されることに。
「やると決めたからには、僕としてはそれなりの形までは持っていってほしい」巨人は、「言いようもなく耐え難く情けない」と感じながらも「言葉が出て来ない師匠に、『あきません』と稽古を」つけていった。そして当日、無事に師匠が舞台に立つのを喜びながらも、「八朗師匠を尊敬していた一番弟子の僕は、往年の師匠の姿と重なって、最後まで哀しい思いで」見ていたという。泣ける。
師匠が弟子を育てるのは当然であるが、弟子も師匠を育てるべきだ。オール巨人、どの角度から見ても、実に正しい弟子である。しかし、ここまで師匠のことを思い、尽くし、そして恩返しすることができるものか。かつて山本夏彦は「弟子は永遠に不肖である」という名言を残した。しかし、ここに一つの偉大なる反証が提示されたのだ。この本、関西ローカルでだけ読まれるにはもったいなすぎる、笑いと涙と感動の物語なのである。
えらくまじめな話なのかと思われるかもしれないが、紹介したのは、あくまでもこの本を貫くオール巨人の精神とでもいうべき骨の部分だけである。骨をとりまく美味しい話は、さすがは一流の漫才師さんだけあって、遠慮会釈なく笑わせてくれる。ん?「でも、やっぱりあまり知らない芸人さんのお話じゃん」やて?ここまで何読んどったんや!ねむたいわけのわからんこというてんと、さっさとポチって読んだらんかい、わぁれぇ~。あ、失礼しました、アゲイン。