先日、好評を博したHONZ内藤の活動期をぼけーと読んでいたら「栗下直也が真面目な本ばかり取り上げていたら、病気の可能性も否定はできない」と書かれていた。考えてみれば、最近、変な意味でなく、びんびんに元気なので直近の自分のレビューを振り返ってみたら「家のみ」、「ゴキブリ」である。そして今回も、びんびんは続くのかもしれない。「毒婦」である。
「えっ、この本、どこに売っているのですか」をHONZに期待している人には申し訳ない。今週、池袋の本屋に行ったらフロア内で一、二に目立つところに置いてあった。売れ筋である。普段なら絶対近寄らないコーナーである。amazonでも96位に入っている(10日午前6時時点)。だが、私にも事情がある。先日、里帰り出産から帰還した妻に「あなたの本棚は軽薄すぎる」と吐き捨てられ、本読みとして絶望的な気持ちになったので、もう単なるミーハーになってやると半ばやけになって手に取ったら、あらあら、良い意味で期待を裏切られた。
本書は、週刊朝日の連載を書籍化したもの。男性3人を練炭自殺に見せかけて殺したなどの罪に問われていた木嶋佳苗被告(以下は本文に倣って佳苗)の裁判記である。状況証拠だけのため、司法判断の行方が話題になっていたが4月に第一審で死刑判決が下された。ただ、それ以上に逮捕直後から注目を集めたのが佳苗の容姿である。人の容貌について偉そうなことを私は言えないのだが、学生時代の写真の、はれぼったい目や肉付きの良い体や不潔感は決して美人とは言えない。佳苗が男たちから1億円以上のお金をなぜ受け取れたのか疑問に感じたことを強烈に覚えている。
店頭でぱらぱら捲った感じだと、被害者が3人もいる事件にしては文体に「軽さ」を感じてしまったが、読後感は正直、重い。びんびん言ってられない。あまりの佳苗のぶっ飛びぶりに、読み進める内に違和感が広がり、それが恐ろしさに変わってくる。まとわりつく違和感こそがこの事件のそして本書のテーマである。著者はうまくそれをあぶりだしている。
今更であるが事件の概要を示すと、30代から80代の男性を婚活サイトで見つけては詐欺を働き続け、一部を死に至らしめたたというのが検察の描くストーリーである。佳苗が何人もの男をなぜ手玉にとれたのか。北海道の田舎町で育った佳苗が、なぜ、男をあさるようになったのか。3ヶ月超に及ぶ三十数回の公判記録を中心に本書は進むが、時が経つにつれ、周囲はただただ佳苗ワールドに飲み込まれ、翻弄されていく。何とも奇妙である。
それは法廷でのちぐはぐなやりとりに如実にあらわれている。公判中も、一部のテレビや雑誌では取り上げられたみたいだが、佳苗の堂々すぎる態度がなんともすごい。裁判での佳苗は写真のイメージとは異なる丁寧な言葉遣い。午前と午後では服装はもちろん、髪型やハンカチまで変わるオシャレぶり。法廷なのかファッションショーなのか。読むだけで、傍聴席のざわめきが聞こえてきそうだ。休廷中には「思ったよりもかわいい」、「十分いける」などの声もあったという。大丈夫か日本。
そして傍聴席の度肝をさらにぶち抜くのは、聞かれてもいないのに、自分の性体験や風俗体験を語り始めること。逮捕直後、なぜここまで幾人もの男をたぶらかせるのかが焦点になり、実話誌などには「夜が凄いに違いない」などと記者の妄想力全開で書かれていたようだが、現実は妄想以上にすごかったのだ!
一部だけ取り上げるが、「本来持っている機能が普通の女性より優れている」との名器自慢から始まり、「一万円という(少ない)金額でセックスしたことは」ないと高級(?)娼婦発言をしたと思ったら、「セックスにおいて到達点と考えている世界を共有できなかった」「性の奥義を極めたく」など求道者のような発言まで飛び出す。
傍聴席騒然である。本書によれば、法廷内の美人女性記者は自分よりも佳苗が夜の営みが多いことに絶叫し、男性記者はひたすら想像をふくらませていたらしい。事件が事件だけに大変不謹慎だと思うが、もう、みんな、佳苗に首っ丈って感じである。大丈夫じゃないな日本。
著者は女性の犯罪者には感情移入ができるが、佳苗には全くできない、わからないという。それもそのはずだ。被害者の親族にブス呼ばわりされるような容貌のものの、公判の発言からは自分のビジュアルには全く引け目を持っていないことが伺える。むしろ自信すら感じさせる。そして驚くべき程、欲望に忠実で冷酷だ。事件直後に、ワイドショーが提示した「容姿を男性に馬鹿にされ続けた女性のもてない男への復讐」と言う団塊親父的発想が滑稽に見えてくる。
独特の性に対する考えにあんぐりしてしまうのだが、本書は何も裁判の表面的な会話を取り上げて、戯れているわけではない。公判を通じ、佳苗の実像が見えにくくなる中、取り憑かれたかのように著者は自ら佳苗の生い立ちを追う。男と女の問題なのか。底無き欲望はど田舎でうまれたコンプレックスか。 寂しさを抱える現代社会が生んだ事件なのか。小学生の時に「シュバイツアー」が好きと書いて、読書コンクールで入選した佳苗はどこに行ったのか。取材を進めながら、もがく。もがけばもがくほど、佳苗という人間の不気味さが浮き彫りになる。遺族を含め、みなが裁判を通して一番知りたがったが明らかにならなかったこの不気味さの解体に果敢に挑んでいる。
佳苗は死刑判決がでた4月13日に即日、控訴を決めている。興味深いのは判決直後に彼女が朝日新聞に手記を寄せていることだ。本人は「朝日新聞をほとんど知らない。記者の方と縁があった(拘留中に記者が手紙を送り続けていた)」と記しているが、著者は疑問を投げかける。佳苗の父は朝日新聞や朝日ジャーナルを自らの書斎に保存していたほどの朝日好き。父親と仲が良かった佳苗が知らないわけがないと指摘する。ブランドが大好きで自己顕示欲が強い佳苗が一定層の読者を持つ朝日を自己の新たな「発信」の場に選んだのではと推測するのだ。
ブログで買い物三昧のセレブな生活を発信し続けたがその場は、逮捕されたことで奪われた。その彼女が次の発信の場に選んだのが法廷。ファッションショーさながらの振る舞いも裁判でのぶっ飛びぶりもそう考えると合点がいく。そして、公判が一区切りした今、彼女が次の発信の場として選んだのが朝日新聞ではないかと。朝日新聞はまさに佳苗に使われたのではないだろうかと。果たして再び佳苗は我々を唖然とさせるのか。「発信」し続けるのか。それとも異なる展開が待っているのか。オーガズム自慢はもう、いいですが。
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木嶋佳苗被告の小学生のときの愛読書はシュバイツァー
木嶋佳苗被告の高校一年生のときの愛読書