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Googleで検索をかければ、すぐに答えがわかってしまう現在、この本に書かれていることの一部が眉唾物であるということは一目瞭然だ。しかし400年前はどうだっただろう?インターネットなんてものはもちろんなく、伝聞に加え書物や文献でしか情報を得… more
田中 大輔 |
近年、アスペルガーやADHDといった発達障害が注目を集めている。本書の冒頭でも述べられているが、テレビドラマの登場人物でも発達障害を持っていると思われる行動をとる人物が活躍する作品が増えている。海外ドラマ『クリミナル・マインド』のDr.スペ… more
鰐部 祥平 |
大学入試センター試験の改革が着々と進んでいる。次の中学3年生が高校3年生になるタイミングであり、もう間近である。高校も大学も塾も、その準備に追われてとても大変になることは想像に難くないが、その2年前にも、大きな問題が来ると随分前から予見され… more
山本 尚毅 |
本書は東大・京大・一橋・慶応・早稲田といった難関大学の歴史の試験の記述問題を、著者の片山教授とともに解いてみようという本である。さすが難関大学、私なんぞ生きている間に解けるようになるとは思えないような難問揃いである。が、これが面白い! more
麻木 久仁子 |
本書は、八木澤商店の人たちが廃業の危機に直面し、次々に降りかかる困難と対峙しながらも、再び醤油を造り始めるまでの記録である。しかしそれは、一企業の事業再生物語にとどまらない。壊れてゆく社会のなかで、本書に登場する人たちの姿は、読む者に自身の… more
塩田 春香 |
著者はゲーム業界をビジネス的観点から描くことで、マーケティングや営業の現場が創造的プロセスにどんなインパクトを与えたかを、興味深いエピソードを積み重ねながら明らかにしていく。もちろん、熾烈な市場シェア争いを描いたビ… more
早川書房 |
本書は、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎)で話題を集めた編集者/ライターの稲田豊史さんによる、渾身の『ドラえもん』評論です。
サブタイトルに掲げた「のび太系男子」とは、誰もが知るドラえもん頼りの劣等生の代名詞「のび太」の生きざまをロールモデルに、21世紀の日本社会に結構な割合で定着してしまったであろうアラフォー以下の男性たちのこと。
よく言えば立身出世にあくせくしない、悪く言えば向上心がなく自分に甘い生き方を選択した、せざるをえなかった彼らの心のうちには、どんな希望や苦悩が横たわっているのか……。
そんな内省を手始めに、様々な切り口からの『ドラえもん』論が、硬軟織り交ぜ縦横無尽に語られていきます。
手前事情で恐縮ながら、僕にとっては編集者として初めて単独著者の単行本を担当させていただいた、記念碑的な一冊。
著者の稲田さんとは、彼がフリーランスになってから批評誌「PLANETS」の編集を一緒に手がけた縁で、数年来の盟友。ともに1974年生まれということもあって、同じ時代を生きてきたシンパシーと、それぞれに異なる文化クラスタを垣間見てきた部分の興味深さをしみじみ感じながら、原稿と向かい合わせていただきました。
そうした距離感からすると、本書で稲田さんが「のび太系男子」として『ドラえもん』の世代的な影響を取り上げられたのは、自分にとっては目から鱗の落ちる視点でした。
団塊ジュニア以降の男子が思春期前後に接した影響力あるカルチャーとして挙げがちなのが、「ガンダム」シリーズや『ドラゴンボール』『ジョジョの奇妙な冒険』といったジャンプ系作品だったりするわけですが、幼年期から接している『ドラえもん』の場合は、もっと無意識レベルでの刷り込みに近い刻まれ方をしている可能性がある。
そんな心当たりを抉っていくかのような語り口で、我々世代がうっすらと共有している「ありえたはずの未来」からの梯子外され感を見事に言い当て、胸に手を当てさせてくれる点が、本書の基本的な効能でしょう。
それも、特に「ドラ泣き」を謳ったCG映画作品『STAND BY ME ドラえもん』のヒット前後で全面化した感のある微温的な「のび太再評価」の機運には背を向け、きちんと原点に依拠しながら思い出補正を排しつつ「本当はゲスなのび太系男子」の欲望を喝破していくフラットさは、痛快の極み。
このあたり、前著でアラサー世代の女子のメンタリティを分析した著者が、今度は自分たちアラフォー男性側にメスを向けようとするフェアな視点が光ります。
ただ、本書がそんな世代感覚としての「のび太系男子」や対照となる「しずか/ジャイ子系女子」にまつわる“あるある感”の喝破と共有だけに留まらない価値を持っているのは、ひみつ道具に込められたアイディアやテーマをめぐる中盤の分析を経て、藤子・F・不二雄というマンガ家のコアとなる「現実改変」モチーフをめぐっての作家論へと昇華されていく、SFマンガ評論としての骨太さです。
著者の言葉を借りれば「居合抜きのような」アイディアの切れ味で勝負する短編を得意としたFの作家性にとって、必然的に“成長”のドラマツルギーを伴いやすい長編ストーリーマンガは適さない。そうではなく、むしろ登場人物を取り巻く世界や環境の側を改変してみせる思考実験性こそが真骨頂。
だからこそ、ジャイ子と結婚する未来を改変するという『ドラえもん』の物語の基本構造が作られ、大長編の映画では成長したように見えるのび太は、毎度“本来の”ダメな日常へと回帰していくわけです。
そのように、『ドラえもん』には藤子・F・不二雄の作家としての生理特性が集大成されているわけですが、そこには右肩上がりの高度成長期が終焉を迎えて安定成長期に向かっていく1980年代以降の日本社会のモードチェンジと、深い部分で共振するものがありました。
その意味で、まさに「藤子・F・不二雄の時代」の申し子として、特に団塊ジュニアからポスト団塊ジュニアにかけての世代に「のび太系男子」が蔓延したのだ…という社会評論としての射程も、本書は備えていたりします。
ところで発売から1ヵ月近く経っての本書の反響として特に大きいのは、やはりというか前半の「ふたりのファム・ファタール」しずかとジャイ子をピックアップした章での、特に 「ジャイ子系」の自覚を持つ女性読者からの声 でしょうか。
この反響ポイントには、まったくもって自分も同感。連載当初はのび太にとっての「望まない未来」の記号でしかなかったジャイ子が、やがてマンガ家志望という作者自身に重なるキャラクター性を帯びたことで、いかにF自身の「まんが道」を投影されたキャラクターとして成長していったかの詳細な分析のくだりは、間違いなく本書のハイライトの一つ。
おそらく、のび太の元にドラえもんが現れたことは、のび太自身にとってよりも、つまらない男との妥協的結婚を回避し、自分の道を追求することができたジャイ子にとってこそ、幸運だったのでしょう。
その道が決して平坦なものではなかったことは、1990〜2000年代の平成日本の苛酷な現実として本書でも論じられていますが、それでも「選ばなかった未来」を想定してみることで、いま・ここの自分の生きざまを相対化する視点くらいなら持てるかもしれません。
「ドラえもんが来ないまま大人になったキミたちへ」。ドラえもんに扮したカバーモデル、スコティッシュフォールドの龍馬くんの眠り顔は、まさに私たちが「あんな夢、こんな夢」のゆくえを思い描いてきたさまの暗示です。
最終章のタイトルにもなってるように、自分の人生にはどんな「チョコレートの箱」があったのか、本書は想いを巡らさせてくれることでしょう。
中川 大地(文筆家/編集者)
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